<A300−600/600R
について>
エアバス・インダストリーA300は、1967年にイギリス、フランス、ドイツの政府間の共同開発協定締結により開発
された機体です。後にスペイン、オランダの国々が加わり、1972年10月28日に初飛行しました。
A300は、B2型と中央燃料タンクを追加したB4型の2つのタイプがあり、B2型では3000Km位の中・短距離路線、
B4型では5500Km位までの長距離路線と区別されています。A300の外形はごく普通の双発ジェット機ですが、
主翼の後退角が他のワイド・ボディ機に比べ小さくなっています。特に注目されるA300のシステムとして、空気中に
ある程度の湿気をもたせるエアコン、ワイド・ボディジェット機としては初のカテゴリーVA自動着陸の実用化による
自動操縦装置、そして、安全性をより高めた着陸装置等が挙げられます。
他の大型機に先駆けて、2マン・クルー・コクピットを開発し、採用しているのもA300の特徴です。その後、A310で
培った複合材の新技術と主翼の改良を加えてアップデートしたのがA300−600です。胴体を延長し最大座席数を
341席に増やしています。また、A300−600の航続距離をさらに伸ばしたのがA300−600Rです。
水平尾翼内に燃料タンクを増設し、航続距離を約7,900Kmにまで伸ばしています。A300−600はA300B型の
252号機から改造され、1982年7月に初飛行を行っています。以降、A300はー600がシリーズの主力となり、
A300B型は製造を終了しています。
<データ>
全長:54.1m 全幅:44.8m 全高:16.53m 最大離陸重量:170,500Kg
エンジン:プラット&ホイットニー PW4158 推力:22,489Kg
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(株)長谷川製作所 組立て説明書より抜粋
<JA8375機
について>
旧JAS(日本エアシステム)で導入されたA300−600Rの初号機は1991年6月の晴れた日、レインボーカラーに
身を包み「空の女王」A300−600Rは、フランスのトゥールーズから羽田に舞い降りました。
時(20年・JALとの統合)は流れ、最盛期には22機が在籍しましたが昨年(2010年)秋に全機退役が発表され、
今やその数もずいぶんと少なくなり、関空や中部セントレアへ空輸され海外に旅立つ日を待つ者や、羽田に残り
最後までフライトを続ける彼女たち。
そんな中、2011年3月26日、羽田から旭川、高松、鹿児島へと飛び JL1878鹿児島−東京を最後に引退する
ことが決まり日本の空から消えることになるはずでした・・・・・。
ところが3月11日の東北地方太平洋沖地震発生を受け、早期復興・支援のため青森を中心に移動手段として、
また救援物資の運搬など最後の仕事として、ほんの少しの貢献と、恩返しができることに感謝し、継続運行する
ことになりました。(5月31日までの予定)
<がんばろう日本>
仙台空港再開時のJAL一番機(鶴丸新塗装)に書かれた応援メッセージを、実機A300では書かれていませんが、
一日も早い被災者の皆様の回復と地域社会の復興を願って・・・・・。
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